介護は家族がしなければという思い込み

介護は家族がしなければという思い込み

家族がするのが当然?

 

家族が介護をするのは

当然という考えがある。

 

そう考えるのは素晴らしいし

そういう考えを選ぶのも自由。

 

そう、自由なんだよね♪

当然だったり絶対だったり

当たり前だったり

人としての真理だったりすることは

決してない。

 

でも、もし「介護をしない」と

考えるだけで

それが瞬間的であっても

 

なんとなく気になったり

後ろめたさを感じる、という

そんな人も多いはず。

 

それって、なぜなんだろう?

愛情証明としての介護?

 

「介護をする」のが「いい家族」

だとすると

では「介護をしない」のは?

「悪い家族」????

 

いえいえここがね、

驚くことに

「介護をしない」→「家族ではない」

になっちゃってるの!

 

そういう役に立たない思い込みに

なってしまってると、ちょっとツライ。

 

家族ではない、愛情がない

つまり自分は

家族とも認められず

愛されなくなってしまう

 

そう無意識下で思ってしまうから

「介護をしない」という言葉に

恐怖を感じるのね

 

そして、自分をそれで

縛ってしまうだけでなく

他人のそういう行為も

ありえないでしょ!と

感じてしまったりするわけなのだ。

 

本当の最善策はなんだろう?

 

私の母の自宅介護が決まった時

退院後もやはり

毎日のオムツ交換が必須で

 

これは私と父で

やってくしかないんだー!と

ある意味覚悟を決めたわけ

だったんだけど

 

ケアマネージャーさんは

毎日朝晩、ヘルパーさんが

オムツ交換に来るという

プランをちゃんと立ててくれて

 

あれ?やらなくていいんだ、

やらないって、ありなんだ!!

って気づかされて、すごく

びっくりした。

 

それまで介護に無知だった私は

介護=オムツ交換必須

くらいに思っていたりもしたので。

そして、家族がやるもの!とばかり

思っていたので。

 

そして感じたのは

「家族なのになんか申し訳ない」

みたいな気持ち。

 

つまり、オムツ交換を

してもいい、されてもいい

間柄であることが「家族」の

証のように思い込んでいたんだね。

 

そして頼られない自分は

家族の役割を果たせないような

気がしていた。

 

同時に、合点もしたのは

病院でオムツ交換をしてくれる

スタッフの方達の手際のよさ

 

もし、自分がやることになって

慣れるまでの間、その不十分さに

母に耐えてもらう、というのは

お互いかなりの

ストレスに違いないということ。

 

自分が

「オムツ交換は当然家族が」と

思い込んでいたのは

この状況の最善策ではなかった。

 

ただ、自分の気持ちを

満足させるためのもの

だったわけなのだと

ほんと、気付かされた。

 

自分が納得する方法で、家族であるという愛を示す

 

介護をすること、と

愛情を結びつけるのは自由。

 

しかし結びつける必要はなく

結びつけないからといって

愛情がないわけでも

愛されないわけでもない。

 

「家族」という大切な間柄を

味わい、愛情をやりとりする

その方法は、自分の納得できる

形と方法でしたらいい。

 

本当に自分にしかできないこと

それを、自分で

選び取っていったらいいね。

 

常識に、

惑わされることなくね♪

介護プレジャーマガジンご登録はこちらから

介護プレジャーヒーリングメールマガジン

メールアドレス ※必須
名前(姓) ※必須

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です