「介護」というメガネを外してみる

「介護」というメガネを外してみる

独立した一人の人間の生き様を支えるのが介護

介護する側が

「介護」という言葉から連想するのは

入院や闘病に準じたイメージなのでは

ないかしら?

 

しかし、始まってから気がつくのが

介護と名前は付いているけれど

普通の日常生活なんだ

ということ

 

それを無視してついつい

理想を押し付けてしまうと

あっというまに

食い違いが生じる。

 

多くの人が「介護」という言葉に

恐れを感じるのは

 

自分が「介護」という言葉に

関わったとたん

どこか、人としての扱いを

受けなくなったり

 

なぜだか、人として扱うことを

しなくなってしまったりする

 

そうなる予感を感じ取る

からなのでは?

 

介護が必要になったら

他人のこうあるべきや都合を

押し付けられて

それを受け入れるしか

生きて行く道がない

 

そんな恐怖を

みんな感じている。

 

介護の主役はだれ?

介護はまた、言ってしまえば

自分と親との関わりあい方に

すぎないとも言える。

 

しかし主役は

介護される側。

 

年をとり

さまざま支障が出てきたなりの

人生を送る両親が主役。

 

外から理想を押し付け

それがいくら

世間一般的に理想であっても、

常識であっても、贅沢であっても

両親は幸せにはなれない

 

「介護」というメガネを

慌ててかけるのではなく

ゆっくりとはずして

 

目の前のひとを、いかに

幸せにするかを考える

 

過去と比べることなく

未来を嘆くことなく

今をていねいに見る。

 

そして、必要なだけ

手を差しのべる。

 

その工夫なしでは

介護はずっと不幸なもの

恐るべきもので

あり続けることになる。

 

誰の安心を優先しているか?

母が自宅介護になった時

父の分も含めた二人分の食事を

どうしていくのかと考え

 

栄養が偏らないために

お弁当を毎日取ることを

提案した。

 

自分がそのお弁当を

毎晩食べるとしたら

飽きるし、いやだなーと

思いつつも

 

料理させるわけにいかない

そしてできない人たちの

栄養バランスを維持させるには

それしかない!

なんて思いこんでいた

 

それに老老介護の父の負担だって

減らさなければならない

なんとか説得しなきゃ!

とも思ってた。

 

結局週に3回でいい、と

決まってしまい、私は

不安になりながら

その手配をしたのだが

 

 

自分の都合やら理想やら、

心配やらを、

両親に無理強いして

 

解消しようとしていたことに

後になって気がついた。

 

そして、よく考えてみると

自分がちょっと

いらいらする時には

 

このパターンが

多いことも

わかってしまった。

 

そう、両親のためでなく

自分が安心するため

相手の生き様を

無視しようとしていたのだ

 

 

「介護」というメガネをはずしてみる

家族というのは

さまざまな感情の歴史があるもの。

 

それもあって

よくても悪くてもつい

目先に集中しがちになる。

 

介護本によく書かれているのは

介護を、仕事と同じ

プロジェクトとして考えよう

というもの。

 

目指すのは、

作業とココロの合理性

 

目の前の状況を分析し

相手の必要としているものを探り

適切な選択をする。

外からのサポートも考える。

 

虫の眼でなく

鳥の眼で

 

ジャッジメントでなく

その時の最善を

判断していく

 

それは、目先ではなく

お互いの人生を

大切に思い

豊かに幸せにしていく

 

そのための

小さな一歩でもある。

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