介護の親は、理解するものではなく共感するもの

介護の親は、理解するものではなく共感するもの

何かが理解できない時、ヒトはイライラする。
介護の時、親の言動が理解できない、通じない時はまさにそう。

どうにも自分の理論では説明できず、
そしてさらに手間がかかるとイライラは納まらない。

そういう時に、なんとかその気持ちを納めたい、
相手を理解したいと思うけれど、理解というのは、
私たちの10%の意識と90%の無意識の
10%の方でわかりたいと思うこと。

4本足のテーブルを、1本で支えようとするようなもの。
それでさえ、25%なのに。

ヒトの行動も、そして感情も
10%の意識と90%の無意識で起こることの結果でしかない。

相手を理解したい、というのは「安心したい」の裏返し。
なんらかの形で、私たちは安心する必要がある。

ならば、10%の方でなく90%の方も総動員して
その行動をとる意味が相手にはある、というところを
思うことが、その役に立つ。

この行動の、この感情の結果を生む言葉にできない葛藤が
90%の無意識の中で起こっているのだと思うだけ。

言葉にできなくても、自分の中にもあるその90%の部分が
なんらかの安心を、返してくれるはずだから。

私たちは、そのための機能を
誰でも標準装備で持っている♪

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