My story6

My story6

母が腰を痛めてからは

7年ほど経っていました。

 

整形外科に通いながら

いろいろとカラダにいいと

思うことを試したり、

工夫をしたりしていても

全体的に見ると

じりじりと悪くなっていく

 

ゆっくりの変化というのは

なかなか人は

適切な対応の時期を

逃させてしまうものなのかもしれません。

 

そのうち、父も腰を痛めます。

脊椎間狭窄症の

手術をすると言いだしました。

 

母も私も、大反対。

 

もし手術に失敗したら?

もうすぐ80歳ですから

その点でも不安が残ります。

 

結局勝手に日にちも

決めてきてしまったので

それにも腹をたてた私は

手術日に仕事を休まず

付き添うこともしませんでした。

 

今思えば

ひどい娘です。。。

 

この頃まで、私の父への見方は

完全に母の目を通したものでした。

 

結婚当初から

仕事が大事で、実家が大事で

家族や妻を第一に考えたことがなく

まかせっきりと不満に思っていた

母の愚痴を聞いていたので

私はそのまま、採用していました。

 

リタイアしたら

あちこち旅行して楽しもうと

思っていた父が

ついつい出かけようとする。

そうすると、

母の機嫌は悪くなりました。

 

「寂しい」と言えない

昭和ヒトケタ

こんな歳になるまで

我慢しなくても

よかったのに、と

思いますが

母には母の理由があります。

 

そしてついにある朝

母はベッドに戻り損ね

脊椎圧迫骨折で入院。

 

入院するまでにかなりロスがあり

体力を消耗しての入院だったので

本当にこのまま

死んでしまうのでは、と

思うほどでした。

 

いよいよ介護がきたか!と

思いながらも、

まったくどうなるか

わからない状態。

 

学んだばかりのことを

仕事にしていこう、と

一生懸命うごいている最中でしたが

一時期それをストップしました。

 

母の具合を見て

自分がどう介護するか決まったら

それに合わせて

仕事をやっていこう、と

思っていました。

 

母が入院して2週間後

兄が脳梗塞で

集中治療室にいる、という

連絡がきました。

 

4人家族のうち2人が

倒れるという

今まで体験したことのない緊急事態!

 

いろいろと対処に追われながら

しかし、私は

3年間学んできたワークのおかげで

ココロとカラダのバランスを

しっかりとりながら

負荷をかけない考え方

動き方を身につけていました。

 

ワークを学んでいなかったら

きっと余計なことを

たくさんして

自分を疲れさせていたと思います。

 

兄は幸い2週間ほどで退院でき

母も、入院しているおかげで

逆に安心できる部分もあり

少し、落ち着いてきた年末

 

そんな時私は

ヒーリングに出会いました。

 

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